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人と関わらない、という生き方『ヒトリコ』感想

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こんにちは、よたヲです。

本日は『ヒトリコ』をレビューします。(※ネタバレ全開)

ヒトリコ

ヒトリコ


あらすじ


深作日都子は小学校5年生のある日、教室で世話していた3匹の金魚を殺した犯人にされてしまう。
そして先生からの八つ当たりやそれまで親しかった友人からの理不尽ないじめを受け、彼女は、今後は「関わらなくていい人とは関わらない」ことを決心した。

以来、日都子は“ヒトリコ”となって生きるようになる。

中学生になった日都子はヒトリコとしての生き方がすっかり板につき、部活に所属しない為に通いだしたピアノ教室の先生であるキュー婆さん意外の他人とは殆ど会話することなく生活していた。
茨城県行方市の中学校に通う彼女の周りには未だに多くの幼馴染もいるが、その関係性はそれまでのものとは全く別なものに変わってしまっていた。

そんな彼女だったが合唱コンクールの猛特訓に付き合い、ピアノ伴奏の補欠として無気力ながら練習に励んでいた。
しかし、練習を取り仕切るある女子の独裁じみた強制練習の結果は本番での合唱ボイコットという悲惨な形で幕を閉じる。
この事件が日都子の幼馴染であるボイコットのリーダーの堀越明仁との関係を少しだけ変えた。
彼は日都子のことがずっと好きだったのだ。それを知り、彼女はそれでも昔に戻ることを拒否する。
だが堀越の秘密はまだそれだけではないことを彼女は知らなかった。

高校進学を迎え、ヒトリコたち小学校のメンバーは思わぬ人物と再会することになる。
あの金魚を教室で飼うきっかけを作った海老澤冬樹が茨城に帰ってきたのだ。
彼はすっかり変わってしまった日都子に驚く。しかし同時に羨ましいとも思った。
ヒステリックな母親を捨てられなかったことで彼は自分というものを失いかけた。その経験が彼をずっと苦しめていたのだ。
海老澤は日都子と関わっていい人になろうと彼女に構うようになる。
それがきっかけで日都子の生活は少しだけ彩を取り戻していくのだった。

旧友との再会。ピアノの恩師との別れ。様々な告白。贖罪。
物語の終盤、日都子は『怪獣のバラード』のメロディと共にそんな自身の刻んだ足跡にさよならをする。

感想


一人を恐れない彼女の強さ。
それが新たな苦悩を生み出します。

本書は第16回小学館文庫小説賞を受賞した額賀澪さんのデビュー作です。
舞台となる土地も作者の出身地であり、方言もいわゆる「かっぺ」。

田舎を舞台にしているだけあって、世界観はどこか閉鎖的。ですからこれをいじめを扱った小説の一つとして数えるのは自然なことに思います。

さて、これまでもいじめを題材にした作品はいくつもありました。

ヘヴン (講談社文庫)

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りはめより100倍恐ろしい

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ナイフ (新潮文庫)

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それら既存のものと本書が一線を画しているのは、主人公のいじめへの立ち向かい方です。
いえ、むしろ彼女はあえて立ち向かわないという戦い方を選択します。
小学校の事件があるまで、彼女は明るくてちょっとわがままなどこにでもいる普通の女の子でした。
しかし、理不尽な罪のなすりつけと、そこで受けた仕打ちが彼女をまったく違う人間へと変えてしまいました。

それが「関わらなくてもいい人と、関わらない」生き方をする“ヒトリコ”です。

これは理不尽に対する彼女なりのカウンターでもあります。
実は私たちは日々生きる中で、自分ではどうすることもできない事に時に踊らされ、時に痛めつけられたりしています。
冤罪などはその極地ですが、そうならない為に人は他人との関わりというものを慎重に捉えるものなのです。
結果、人は集団の中で演じることを覚えます。
そうすることで回避できる理不尽があることを、そしてそれで得られるものがあることを現代人は幼い頃より学んでいるのです。

しかし、ヒトリコはこれら一切を否定した生き方です。
集団にあって他人と関わらないという生き方。
それは、他者という存在を捨てた生き方です。
彼女は己を理不尽に縛る鎖を自ら断ち切ったのです。
その鎖に絡めとられていることで得られる安心や優越というものも潔く捨て去ります。

こうして煩わしい人間関係というものから彼女は解放されたかに見えました。
しかし、彼女はそれでも町の偏屈婆さんの下でピアノを習ったり、不登校にならずにちゃんと学校に通ったりと、完全に社会と自分との接点を失ってはいません。
これはひきこもりとも違う新しいスタンスです。
煩わしさから逃げるために物理的にシャットアウトするのがひきこもりだとして、ヒトリコはそれを精神的に行っているのです。

彼女のその強さが際立っているのが、次の場面です。

終盤、遂に金魚殺しの真犯人が判明します。
そして、彼はずっと言えずにいたことを日都子に謝罪しました。
それに対して日都子は、

「もし金魚が死ななかったら、私は多分、すごく嫌な奴になったと思う——」

と言って、あっさりと許してしまいます。

日都子の言う、嫌な奴とは、
中学の合唱のときのように、人を虐げ、嘲笑い、傷付け、それを「いい思い出」として生きていくような人間のことです。

虐げる人間は果たして人を虐げたかったのでしょうか。
嘲笑う人間は人を嘲笑いたかったのでしょうか。
傷付ける人間は人を傷つけたかったのでしょうか。

日都子の発言からは人が集団の中で負う見えない義務的役割の存在が透けて見えます。

彼女は理不尽もまた理であることをすでに悟っているのです。

彼女の目には他者の関係が空虚なものに見えていたかもしれません。
それをほんの少し変えたのが後に再開する海老澤冬樹です。
彼だけが唯一日都子の生き方を肯定したのです。

彼の母親はヒステリックなモンスターペアレントで、その所為で彼は大事な家族と自分自身の望みを失ってしまいました。
それを彼は捨てられなかったからだと後悔しているのです。
そんな彼の目にはヒトリコの生き方はまさに自分がしたかったことそのものであったのでしょう。

捨てられずに苦しむ。

これもまた現代人が抱えた闇なのかもしれません。
黒沢清の映画『CURE』で、主人公は精神病を患う妻を持ち、それをずっと重荷として背負って生きていました。
最後にはそれを捨て去り、彼自身もまた狂気に陥ります。
CURE [DVD]

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しかし、同じ精神病の妻を持つ夫が登場するアニメ『妄想代理人』においては、その妻を支え、己の夢や理想も捨ててただ日々を生きる中年男性の姿を肯定的に描いています。


どちらが良いとも悪いとも言えません(勿論、殺人は犯罪です)が、捨てたいという願望に苦しめられている人がいることもまた現実なのです。

では、ヒトリコというミニマムな生き方が彼らの救いと成り得るのでしょうか。

その答えは、本書の最後にあります。

日都子は恩師の墓前でこう述懐します。

これからもずっと、俺と関わってほしいな。
ヒトリコの私にそんなことを言うの。私のこと、羨ましいって言うの
ねえ、信じられる?信じていいと思う?

そして、彼女は最後にヒトリコとしては絶対のタブーとも言えることをします。

高校の文化祭の合唱コンクールで、彼女はまた伴奏をしていました。
歌い終わって鳴り響くアンコールの拍手の中、彼女は自らの意志で、海老澤の名を呼びます。

そして、突然弾き始めたその曲は『怪獣のバラード』。

それは住み慣れた砂漠から新たな新天地を目指して旅立つ1匹の怪獣を歌った曲でした。

日都子はその怪獣と自分を重ねて、自らの足跡に向かってさよならをしたのです。

そうです。
彼女は“ヒトリコ”をやめる決意をして物語は終わるのです。

「ヒトリコ」のその先へ


人は果たして一人で生きられるものなのでしょうか。
その答えは明確に“ノー”です。

無理です。人は一人になって生きることはできません。
人は他人を求め、また社会は人が関わり合うことを前提に構成されているのです。

社会を捨てない限り人は社会の中で人と関わって生きていかざるを得ないのです。

ですが他人は自分の思い通りになんてなりません。
ときにはその所為で嫌な目にあわされたり、酷いことをされたりします。

正直、その煩わしさに比べてしまえば、他者との関わりを肯定的に捉えることは困難を要します。

他者との関わりの最大の悲劇が戦争です。

では、その逆はなんでしょうか。

私にはその答えが分かりません。

人間関係には絶望が付きまといます。
では、希望はないのでしょうか。

実はそもそもそうではないのです。

人間関係に希望や願望を込めても意味がありません。
関係とは自然と形成されるものであって、その最大のメリットは自身の生存であるからです。

「ヒトリコ」という生き方は結局希望とは成り得ません。

人は他者と関わり、自らも穢れなければ生きてはいけないのです。
それを恐れたり忌み嫌っていては、生きることはままなりません。

しかし、日都子が最後に見出した海老澤を信じる選択は愚かでありつつ、それこそが希望と言えます。

『怪獣のバラード』の怪獣は住み慣れた砂漠を離れて、遠い所へ旅立とうとします。砂漠の生き物が海を越えて、遠い人間の居る土地に行ったとしても、きっとそこは楽園とは成り得ないでしょう。

それでも旅立っていく怪獣の背中を思い浮かべると、じんわり熱いものが胸に込み上げます。

住み慣れた砂漠に住み続ける自由。

住み飽きた砂漠を出ていく自由。

どっちの選択も同様のメリットとデメリットがあります。

怪獣は後者を選びました。

そして、日都子も選びました。

選ぶ自由がある。それこそが希望であり、未来を自分のものにする唯一の方法なのです。

それでは、今回もおそまつさまでした。