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プライバシーは“盗み” 『ザ・サークル』書評

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どうも、よたヲです。

近頃洋書の翻訳本を読んだのですが、なんだかしっくりきません。言葉遣いなのか、それとも文化の違いの問題なのか。内容は面白いのに、読んでいて何かしこりのようなものが残ります。
いっそ横書きだったらそんな風に思わずに済むのでしょうか。


さて、それはさておき、今回は『ザ・サークル』の(ネタバレ)書評です。

ザ・サークル

ザ・サークル

あらすじ


トイレは「聖地」と先輩は言った
あり得る未来が提示された

西海岸に「Circle」という新進気鋭のIT企業がある。
そこへ若きアメリカ人女性のメイが入社するところから物語は始まる。
彼女は大学卒業後、地元のガス電気水道公益事業局に入社したがそれにまったく満足していなかった。
そこはちょっと(彼女にとっては)コンピュータがいじれれば驚かれ、「何事もなければ」すぐ(4、5年後)に事務課長になれるとまで言われ、9時出社5時退社でパンチカードの出退勤記録機が置いてある「前時代の遺物」のような企業だった。
だから彼女は大学時代の友人アニーのコネでこの生き馬の目を抜く気鋭のIT企業に転職できてとても嬉しかった。
しかし、喜んでばかりはいられなかった。
そこでは企業内SNS「サークル」への加入が半ば強制される。しかもパーティーランクというポイントが与えられ、そこでの活動(もちろん、仕事外)の成果が自身のランクに反映されるのだ。
最初はあまり気にしていなかったメイだが、ある日、病気を患う父親と母親に会いに実家に帰っている間に自分の歓迎会があったことを知らされる。そこで休日の過ごし方について上司から根掘り葉掘り聞き取りをされる。彼が言うには我々最先端のSNS企業に勤めているのなら「透明性」という言葉を知っているだろう、ならばそれに相応しい行動を心掛けなければならないらしい。
それ以降、メイは自分のランクを上げる為に業務の傍ら様々なコミュニティに参加し、たくさんの人たちと交流をするようになる。SNS上では常に歯の浮いたやりとりを繰り返し、現実では好きでもない男と(自ら)行為に及び、ある意味やりたい放題な生活を送るが、パーティーランクは急上昇していく。
そして、次第に社内だけの常識であった「透明性」は「Circle」の台頭に合わせて徐々に外の世界に浸透していき、ついにはある政治家が「透明化」を宣言したことを皮切りにその波は一気に波及していく。
彼ら「透明化」した人々は二十四時間webカメラを携帯し、自分の生活の何もかもを世界に配信しだす。政治家は汚職ができず、個人の得た些細な経験はことごとくネット上にアーカイブされていく。

「秘密は嘘」
「分かち合いは思いやり」
「プライバシーは盗み」

メイが思いついたそれらの標語は彼ら“サークラー”たちの合言葉と化す。
メイが夢中でパーティーランクを上げることに躍起になっている間に、彼女の身の回りの人間たちと次第に距離が離れていく。両親の痴態が世界に配信(二度と消えない)され、透明化に反対してアラスカの奥地に旅立った元カレを(全世界のサークラーたちの協力のもと)追い掛ける過程で彼を亡くし、そして親友のアニーは自分が考えた先祖のルーツを明らかにするプログラムによってかつて黒人奴隷を使役していた事実や両親の秘密が世間に明るみになった事で、そのショックから自殺未遂を図る。
何かが狂い始めていた。
そのとき、メイは創業者の一人であり、システム開発者のタイからこんなことは止めなければならないと警鐘を受ける。
彼女は選択を迫られていた。
「サークル」を解体し、世界を元の無秩序で秘密の存在する状態に戻す(タイがいれば十分可能)手伝いをするか、それとも「透明化」のさらに先にある「完全化」への扉を開けるか。

数日後、彼女の目の前には集中治療室のベッドに横たわるアニーの姿があった。
彼女の脳波は常にスキャンされ、彼女の精神状態がモニタ上に抽象的でカラフルな“波”として表示されている。
それを見てメイは思うのだ。

アニーの頭の中で何が起こっているのだろうか?
なぜ自分たちにそれを知る必要がないと言うのだろう?
世界が求めているのはそれにほかならず、もう待つことはできないのだ。

彼女はタイを他の創業者たちに告発し、扉を押し開いたのだ。


トイレは「聖地」と先輩は言った

メイは所謂イマドキの若者です。

公共インフラ事業の会社に入社し、半ば準公務員としての地位についた彼女ですが結局その旧態依然とした実態に嫌気がさしてしまいます。
ちょっと身勝手に見えますが、彼女がこの会社を選んだ裏には卒業と同時に奨学金という名の莫大な負債を抱える現実があります。
エリート大学に進学するために必要だったというその奨学金の額は実に23万4千ドル(現レートで2千6百万円)という大金です。
だからこれは得てして彼女の望んだ就職ではありません。
そんな彼女の目に「Circle」という企業はどれほど輝いて見えたことでしょう。
社内の広大な敷地をキャンパスと称し、一流のシェフをそろえたカフェテリアや発売前の製品の並ぶショップや医療保険などのサービスが全て無料。業務もウェブマーケティングは勿論のこと、コンサルタントやハードの開発を伴う新サービスの開発、コンテンツ事業と多岐に渡り、それらすべてが先進的で意欲的野心に溢れていてしかも上手くいっています。
その中核を担うのは、トゥルーユー(ウェブを利用する一人一人に付与したただ一つのアカウントによって支払い、申し込み、送信・発信が複数のパスワードなどなくとも行える統一型のオペレーションシステム)を開発したタイラー・アレクサンダー・ゴスポティノフ(タイ)とそれを事業として確立したトム・ステントン、そして会社の理念的指導者であるイーモン・ベイリーの3人のワイズマン(賢者)です。
その下にはおそらく世界中から集まった若き天才たちで、彼らは次々に真新しくて実に突拍子もない事業を起こし、次々に実現していっているのです。
例えるならば、ザッカーバーグとイーロンマスクとジョブズが一緒に会社を起ち上げて、バックにビルゲイツがいるような企業でしょうか。もしくはシリコンバレーがそのまんま一つの会社になったようなものです。
若くて才能があって野心もあるそんな根拠なしの自信が膨張してはちきれてる若者が見たら垂涎ものでしょう。
メイが憧れるのも分かります。

分かってしまいます。
私は生まれも育ちも同じという意味で純粋な日本人ですがメイのこの状況には共感が湧いてくるのです。
奨学金、旧態依然とした会社のシステム。いえ、むしろ“会社”というシステムそのもの。
そういったものに辟易している若者はこの国にごまんといます。
唯一の違いは、メイは家族が難病を患う父親の高額な医療費(民間保険会社に加入しているが保険の対象外と認定されている)に悩まされていることでしょうか。日本だったらこの部分は将来の年金負担という問題に置き換わると思います。
このように日本とアメリカの若者が抱える問題の相違が見えて冒頭から非常に興味深いです。
こうしてこの小説は最初の段階でフィクションとリアルを繋ぎ合わせることに成功しているのですがこれが重要な要素ともなるのです。

さて、そんな夢の企業(若者の)に入社したまでは良かったのですがメイは思わぬところで躓きます。
それが社内SNSの存在です。
なんと入社と同時に強制的に加入させられたそのSNSによって社員たちは全員パーティーランクというポイントで格付けされているのです。
しかも、彼らは会社にいようが家にいようが、オンだろうがオフだろうが常にそのSNSに近況を投稿したりコミュニティの会話に参加したり、時には現実にそのコミュニティのイベントへ参加することを半ば義務付けられています。
実際、メイは日々大量に送られてくるメールの一つを見落としたために後に上司から詰問を受けてしまいました。

分かりやすく言えば、社規に「既読スルー禁止」という条文があるようなものです。

異常です。
しかし、ここではむしろそれが常識なのです。
彼らは「透明性」という一つの思想の信者でもあるからです。
透明性。
その言葉を聞いた時、ぱっと思い出したのがフェイスブック創始者ザッカー・バーグです。彼こそが現実社会で透明性の高い人間関係を望んでいる張本人なのです。それはフェイスブックが未だに非匿名性においては比肩するものない事に表れています。
彼が「透明性」を標榜するのにはワケがあって、どうやら人間は潜在的に互いに「繋がりたい」と思っていると本気で信じているようなのです。

つまるところ彼は純粋無垢なアメリカ人の鑑なのです。

ザッカーバーグがハーバードで行ったスピーチ全文https://www.buzzfeed.com/jp/sakimizoroki/cf-mzc?utm_term=.tx0OzDkrd7#.qh5A8a0KgJ

長いですがリンクの演説をしっかりと読むとこの「Circle」という企業の根底にものの輪郭がぼんやりと見えてきます。
それは性善説に則って見ればまさに理想的とも言えるでしょう。
なぜなら「透明性」の高い社会とは例えば汚職が撲滅されたり犯罪者の居場所などが簡単に特定されたり社会的問題が即座に浮き彫りにされるような社会だからです。

作中、ある女性議員が自身の「透明化」を行います。
サークラーが開発したwebカメラを身に付け24時間自分の生活をライブ配信しだします。
こうすることで彼女は物理的に汚職が不可能になります。

なるほど確かに彼女の行動は公明正大な政治家を事実上成立させる気高いもののように思えます。というか、実際かなり高潔で勇敢です。彼女は理想の為に自分のプライベートを投げ売ったのですから。
一日の内、他人に見られたくない瞬間が誰にでも必ずあるでしょう。
そんなことは少し想像すれば分かることです(私の先輩の言ですが「トイレは聖地」なのです)。
何もそこまでしなくてもいいのではと思いますが、しかしトイレに行くからという理由でもしもカメラをオフにしたら、その間の彼女の公明正大さを誰が保証するのでしょうか。

彼女のこの英明な行動は大きな影響を社会に与えます。
彼女以外の政治家たちも徐々に「透明化」していくのです。
もはや「透明化」していない政治家たちはその公明さを疑われても文句を言えないというわけです。
そうなったら、余程胆力があるか盲目な議員でない限り「透明化」は政治家として必須のものになってしまいます。
そして、「透明化」の流れは政治家から個人へと波及します。
「秘密は嘘」のもと政治家はプライベートを捨てさせられ、「分かち合いは助け合い」のもと個人情報はネット上に全てアーカイブされていきます。
そして、「プライベートは盗み」というスローガンが示す未来が現実になるのです。
ある日、「透明化」したメイの所為で両親の情事がネットに配信されてしまいます。しかも、それは消去することが出来ません。なぜならそのような個人の痴態でも全人類の共有財産となるからです。
個人の情報はもはや個人のものではなくなってしまいます。

しかし、そんな思想に迎合する人ばかりではありませんでした。
この状況に嫌気がさした人たちは誰もいない土地を目指して逃げ出します。その一人がメイの元カレのマーサです。
彼はマイカーで山奥目指して旅立ちます。
しかし、彼はすぐに補足されます。
彼の車は常にアメリカ中のサークラーたちに監視されてしまいます。そしてたちどころに居場所がバレた彼の車はドローンに追跡されます。もうどこにもプライベートな場所が存在しないことを悟った彼は車を道なき道へと向けました。
彼は崖の下に自ら落ちていったのです。
メイの行動はあくまで善意によるものです。彼をこの素晴らしい「透明」な世界に招き入れようと思ってしただけなのです。
しかし、結果は最悪のものでした。
だけど、果たしてメイは間違っていたのでしょうか。それとも遂にこの素晴らしい理想的な社会の転換を受け入れることが出来なかったマーサの自業自得なのでしょうか。
その答えが出る間もなく、また悲劇が起きます。
メイをこの会社に招き入れたアニーが自殺未遂を起こしたのです。
彼女は自ら開発した個人の血縁的ルーツをネット上に転がっているあらゆる情報から追跡する「パストパーフェクト」というプログラムによって自滅したのです。
彼女はヨーロッパの貴族という名誉ある血筋を持っていることを誇りに思っていました。しかし、彼女の先祖は過去に有色人種を奴隷として使役した過去を持っていたことが明らかになってしまうのです。それどころか両親がその昔ホームレスの転落事故を目撃しておきながら通報すらしなかった事が過去の監視カメラの映像から判明してしまったのです。それらは当然ネット上でアーカイブされ、二度と消すことができません。

「透明化」がもたらす悲劇がメイの隣人を次々に襲いました。
そして、開発者のタイが彼女の前に現れ、言うのです。

「——君だけがこのすべてを止めることができるんだ」

メイのパーティーランクはまさに絶頂に達しており、その影響力は並みの政治家や芸能人を遥かに凌いでいます。彼女のサポーターは世界中に居るのですから。

「——昔は脱退するという選択肢があった。でももうそれはない。完全化でおしまいだ。みんなを囲い込んで輪を閉じようとしている——全体主義の悪夢だ」

「透明化」の先にあるもの。それは「完全化」です。
全世界の人間が全てサークラーとなって透明になることでこの世界は完全になるのです。
「Circle」の頭文字がその隙間を埋めることで円となるように、世界は閉じた世界で完全なる管理社会を形成するのです。その世界では全てを知ることができます。カーテンフォールはありません。その裏の様子まで全てが鑑賞の対象になります。
だから、タイはメイにある依頼をします。

「我々はすべて匿名の権利を有しなければならない」
「すべての人間活動が数値化できるわけではない」
「あらゆる試みの価値を数値化するために止むことなくデータを追うのは真の理解を破滅させる」
「公と私の壁は破れれてはならない」

「我々はすべて姿を消す権利を有しなければならない」

これをメイのウォッチャー(メイのサポーターたち)の前で主張してほしいとタイは頼んだのです。
それは「デジタル時代の人権」という宣言です。これは完全化を妨げる大きな阻害になります。
タイとは情事にまで及んだほどの仲です。しかもこの宣言をした後は一緒にどこか遠くへいこうという提案付きです。

しかし、メイは彼を二人のワイズマンに告発してしまうのです。
タイはサークルから追放を受けました。
こうして、輪が閉じるのは時間の問題となってしまったのです。

物語の最後、昏睡状態のアニーの精神状態を映すモニタを見ながらメイは恐ろしいある思い付きをします。

他人が今何を考えているのか、それを知りたい。

人類に残された最後のブラックボックス。それは心です。
その箱の中身ですら衆目に晒される未来が示唆されてこの物語は幕を閉じます。

あり得る未来が提示された


このSFとも寓話とも、あるいはディストピア小説ともとれる物語を読み終わったとき、私はぞっとしました。
フィクションにしてはあまりにも現実に即した未来に戦慄したのです。

私はSNSというものに比較的消極な人間です。かと言って遠ざけているわけでもなく、連絡用や情報収集のツールとして便利に使ってもいるし、別に嫌悪感もありません。
ただ、プライベートを世間に晒すことに関してはとても敏感です。
深く考えてのことではないのですが、例えば自分の日常の風景をいくつもネットにアップするなどの行為がもたらすリスクを私は過小評価できないのです。
お前の私生活なんて誰も興味ないよという意見が聞こえてきそうですが、それはあまりに人の悪意を楽観視しています。
実際、そうした行為が問題になった事件が何度もマスコミに取沙汰されました。
こういうリスクを過少に捉ない私のような人間が今のところ多数存在するので、『ザ・サークル』のような未来が訪れることは実際には無いと思います。
しかし技術的に見れば、「透明化」はそれほど難しいことではないのです。サーバーの負担に見合った成果が見込めれば十分可能です。

ところで、この本をディストピアに至る過程の物語としてみたとき、面白い発見がありました。
それはユートピアの追及がいつの間にかディストピアに繋がる道程になるということです。
そのようなテーマを内包する他作品に伊藤計劃の『ハーモニー』があります。

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

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この作品では争いを避けるために、人間の凶暴性が管理された社会が描かれています。
また他にも、ディストピア小説と言えば『1984年』という金字塔と呼ぶべき作品があります。
映画で言えば『リベリオン』や『未来世紀ブラジル』などがこの小説の示唆する未来に近いと思われます。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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リベリオン ワルシャワ大攻防戦 [DVD]

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これら先行作品と本作が一線を画するのは、この小説があまりにも現代の社会状況に即しているということです。
人々がネットを介して本当に繋がることが容易になったのが現代ですから、ラストシーンを嗤って見過ごせるわけがありません。作中、共有共産主義という言葉が出てきますがすでにそう言える人がネットには溢れているように感じます。

だからこの小説の顛末があまりにも身に迫ってくるのですが、私はこの物語のラストシーンに違った解釈の余地を感じました。
アーサー・C・クラークの小説に『幼年期の終わり』という作品があります。
その物語の最後に示される人類の進化こそが実は完全化のもたらす本当の未来のようにも思えるのです。

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

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究極の全体主義とはこれを指すのではないか。
読み終わったとき、そんな予感が脳裏に浮かびました。
人間を群れとしてみたとき、個人という自意識を何億も内包したこの群れはとても歪です。

例えば、蟻の本質はどこにあるのでしょうという命題があったとします。
それは蟻という単体生物にあるものなのでしょうか。それとも巣という社会システムそのものにあるのでしょうか。
私は後者だと考えています。
実際に蟻は蟻の巣を維持する一つのパーツに過ぎず、蟻単体では生きることができません。

そういう見方で人類を見たとき、人類社会はとても歪に見えます。
その歪さは個人という小さいのにあまりにも大きい意識を持つ存在から発せられています。
この個人という侵しがたい絶対の領域が社会の完全化を妨げているのです。
だからこそ、人類の進化はここで止まっているのかもしれません。
もしも将来人間が有機物の体から解放され、意識という不可視の存在が顕現した姿となったとき、この個人としての自意識がその進化を妨げるのかもしれません。

そのとき、人類はどちらを選ぶのでしょう。


さて、与太話はこの辺で。
それでは今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました。